生ハムで、峰の原高原の名前を届けたい。As Neco Hamが生まれるまで

木の棚に生ハムが並ぶ熟成庫を水彩で描いた、As Neco Ham誕生の物語のアイキャッチ

峰の原高原で生ハムをつくっています、とお伝えすると、そのきっかけを聞かれることがあります。

始まりは、この場所で何か特産品をつくれないか、という思いでした。標高1,500mの冷涼な気候と、使われなくなったペンション。そのふたつを活かして、この高原の名前を知ってもらいたかったのです。

今回は、須坂市の地域おこし協力隊だった頃のブログをたどりながら、生ハムブランド「As Neco Ham」が生まれるまでを振り返ります。

2023年冬|テレビの中に、これからの仕事が見えた

峰の原高原への移住を控えた頃、ニュース番組で目にしたのが、長野県姫木平の「ジャンボン・ド・ヒメキ」でした。同じ標高1,500mの高原で、藤原さんが生ハムをつくっている。その姿に、自分がこれから暮らす場所の可能性が重なりました。

「峰の原で何か特産品を作れないか?」

「標高1,500mの恩恵(信州生ハム)」(2023年2月10日)

当時のブログに残した、この問いが出発点です。

すぐにワークショップを調べましたが、予約はすでに終了。それでも、協力隊として活動できる時間には限りがあります。ダメもとで問い合わせたところ、参加させていただけることになりました。

初めて向き合ったのは、約10kgの信州太郎ぽーく。藤原さんに教わりながら、血抜きや塩漬けを行いました。食べる時にはひと口の生ハムも、つくる側に立つと、重く、手間のかかるものです。

峰の原でもつくってみたい。そう相談すると、藤原さんは試作のサポートを引き受けてくださいました。知識も経験も足りない私に、最初の一歩を踏み出す場所を用意してくださった。そのご縁が、今につながっています。

2023年春|「つくりたい」を、初めての試作に変える

次は、自分で原料を調達して試作する番でした。上田市のタローファームさんから信州太郎ぽーくを仕入れ、工房をお借りして下準備を進めました。

その後の熟成は、峰の原高原の空きペンションで試すことに。実際にこの場所で生ハムが育つのか。まずは、自分の手で確かめる一年が始まりました。

2023年3月のブログには、秋に試作品ができることへの期待とともに、こんな言葉も残っています。

「うまく出来るのか?」「食べてくれるのか?」

「信州生ハム(made in 峰の原)の試作中です!」(2023年3月6日)

今読むと、ずいぶん正直です。でも、それが本音でした。仕込んだその日に答えが出る仕事ではありません。待つ時間も含めて、初めての経験でした。

春にはサラミやチョリソーづくりも学びました。生ハムの成形で出る肉を、別のおいしさにつなげていくこと。先輩たちの工房を訪ね、一緒に手を動かすたびに、学びたいことが増えていきました。

参考:「サラミ作りを学び、国産生ハム協会の視察に同行する」(2023年4月13日)

2023年夏〜秋|空き部屋に、工房の未来を描いた

峰の原高原へ移り住み、2023年6月には、ペンションの空き部屋を生ハム工房にする計画をブログで発表しました。

候補にしたのは、鉄筋コンクリート造りの1階。夏も涼しく、風を通すこともできる場所です。ただ、当時はカビが目立つ、使われていない部屋でした。掃除や改修が必要なその部屋に、いつか生ハムが並ぶ景色を思い描いていました。

同じ頃、国産生ハム協会の準会員になりました。9月には札幌で開かれた生産者サミットとフェスティバルへ。原木のカッティングを学び、当日は受付で来場者を案内しました。

全国の生産者がつくる生ハムは、それぞれ味も食感も違う。いつか自分も、その一人として並びたい。帰ってからのブログには、はっきりと目標を書いています。

2年後のフェスティバルには生産者として出展出来るように頑張ります!

「国産生ハムサミット&フェスティバルに参加してきました!」(2023年10月7日)

自分の中だけにあった計画を、言葉にして外へ出す。まだ遠い目標でも、書いたことで、次にやるべきことが少しずつ具体的になっていきました。

参考:「ペンションの空き部屋を活用して生ハム工房を作ります!!」(2023年6月19日)

2024年春〜夏|ここで暮らし続けるために、起業を決めた

工房づくりは、やってみたいという気持ちだけでは進みません。卒業後も峰の原高原で暮らすなら、生活を支える仕事にする必要がありました。

2024年5月、私は元ペンションを交流拠点と生ハム工房として整備し、協力隊の任期中に事業を始める決意を書きました。整備には、活動資金や貯蓄だけでは足りません。工事の見積もりを取り、必要な資金を確かめ、資金調達に向けて動き始めました。

これから起業することを決意しました。

「永住と起業、峰の原高原で暮らしていくと決めた協力隊員のお話」(2024年5月13日)

ここで暮らしていく。その言葉に、工事代や事業の準備といった、具体的な責任が伴うようになりました。

6月には、軽井沢の国産生ハムフェスに参加。私は物販を担当し、会場では18工房の生ハムが振る舞われていました。先輩たちの横に立つためにも、今年中に工房を整備して生産を始める。その目標を、もう一度確かめました。

参考:「国産生ハムフェス Vol.8 in 軽井沢を終えて」(2024年6月17日)

2024年夏〜冬|おいしさを届けるための、土台をつくる

工房の準備と並行して進めたのが、食品衛生管理者の登録講習です。夏には東京都町田市で2週間の集合研修を受け、細菌学や食肉製品の検査、工程管理について学びました。

菌を付けない、増やさない。加工前後の製品を混ぜない。お客様に食べていただくものをつくる責任を、講義や実習を通じて学び直す時間でした。最終日の試験を終え、無事に合格・修了できたことを8月のブログで報告しました。

そして秋から、元ペンションの改修が進みます。

木の壁や窓、脚立と工具が見える、峰の原高原の生ハム工房の改修途中の室内
改修途中の工房。使われていなかった空間に、少しずつ仕事の場をつくっていきました。

12月には、使われていなかった2部屋を活用した工房の工事が完了。共有スペースとの間に区画を設け、床や壁、天井、水回りを整え、熟成庫もできました。この時点で残っていたのは、保健所への申請と立ち会い検査です。

最初に空き部屋の写真をブログへ載せた時から、約1年半。写真に写る場所が変わると、そこでする仕事も、いよいよ現実のものに感じられました。

参考:「食品衛生管理者、登録講習完了のご報告」(2024年8月5日)/「生ハム工房稼働まであと少し!残すは保健所の検査のみ!!」(2024年12月9日)

2025年冬|工房に、生ハムが並び始めた

2025年冬、As Neco Hamの仕込みが本格化しました。

当初の予定は50本。けれど、施設の改修費を回収し、これからの事業を続けていくには、その先に販売できる生ハムを用意しておかなければなりません。資金、作業、設備を考えて100本へ。さらにダボス牧場の中ヨークシャーも仕入れられることになり、そのシーズンは合計120本の仕込みとなりました。

低温で熟成させるため、工房は暖房で暖められません。当時のブログには、指先が霜焼けになり、凍えながら作業していたことも書いています。高原の寒さを活かすということは、その寒さの中で働くことでもありました。

それでも、工房が生ハムで埋まり、熟成の香りが漂い始める。空き部屋を見て思い描いた景色が、ようやく目の前にありました。

同じ頃にはabn長野朝日放送の取材を受け、2月24日の「信州ステキライフ」で工房や活動を紹介していただきました。ひとりで手を動かす時間の多い仕事が、画面の向こうの人にも届く。須坂市や峰の原高原を知ってもらう機会になったことが、うれしかったです。

参考:工房取材と試食アンケートの報告(2025年2月3日)/「信州ステキライフ」放送と仕込みの報告(2025年2月24日)

2025年春〜秋へ|つくる場所から、食べてもらう場所へ

4月4日から6日には、須坂の「やまじゅう」で、初めての生ハムカフェを開きました。接客、調理、洗い物。ひとりで回す大変さを実感し、反省もたくさんありました。

その一方で、ブログやSNSを見てくださっていた方が訪れ、声をかけてくれました。普段は高原でひとりで作業することが多いからこそ、発信の先に人がいることを、直接感じられた3日間でした。

5月には、長野県の生ハム生産者による「Nagano Hams」の一員としてイベントを手伝い、商品の伝え方や並べ方を学びました。同月のブログでは、6月の国産生ハム生産者フェスティバルに、生産者として参考出店する予定もお知らせしています。札幌で書いた「2年後には」という目標が、具体的な準備に変わっていました。

7月にはNBS長野放送でも工房を紹介していただき、8月にはクラウドファンディングの返礼品の準備と一般販売に向けた予定をご案内しました。つくるだけでなく、お客様に届けるための仕事が増えていった時期です。

参考:初めての生ハムカフェの報告(2025年4月7日)/イベントと国産生ハム普及活動(2025年5月26日)/NBSでの放送報告(2025年8月11日)/当時の販売開始予定のご案内(2025年8月25日)

この一枚が、峰の原高原を知るきっかけになったら

振り返ると、工房は一度の大きな決断だけでできたわけではありません。問い合わせる。教わる。試す。必要なことを学び、部屋を直し、仕込む。そのたびに、誰かの力を借りながら進んできました。

藤原さんをはじめ、生産者の先輩方、原料を届けてくださる方々、地域の皆さん、試食して感想を伝えてくださった方々。そのつながりが、As Neco Hamの土台にあります。

木の棚に多くの生ハムが吊るされ、奥の窓から光が差し込むAs Neco Hamの熟成庫
木の棚に生ハムが並ぶ、As Neco Hamの熟成庫。

今も、Minenohara Craftsとしてこの場所で仕事を続けています。生ハムを食べたことから峰の原高原を知り、いつか訪れてもらえたら。ここで過ごした人が、帰ってからも食卓で高原を思い出してくれたら。

生ハムで、峰の原高原の名前を届けたい。

最初のブログに書いた願いを、これからも一本ずつ、形にしていきます。

As Neco Hamについてでは、今の取り組みをご紹介しています。販売中の商品はオンラインショップをご覧ください。

峰の原高原に住み続けると決めるまでの話は、「この景色の中で、生きていく。峰の原高原に出会い、定住を決めるまで」にもまとめています。

※協力隊時代に書いた記事の引用・内容をもとに、当時の歩みを振り返って再構成しました。リンク先にある募集・イベント・販売予定は、各記事掲載当時の情報です。

野澤 健太

元須坂市地域おこし協力隊。長野県須坂市・峰の原高原で、宿泊&交流拠点「Forest Base」の運営と国産生ハム「As Neco Ham」を製造・販売しています。

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