自由になりたくて移住した。迷いながら歩いた、地域おこし協力隊の3年間

光が差し込む森の小道を水彩とちぎり紙で描いた、地域おこし協力隊の3年間を振り返る記事のアイキャッチ

会社員時代とほぼ同じことしているのに給与が激減しただけ?

2024年11月、地域おこし協力隊になって2年ほどが過ぎた頃。私はブログに、こんな本音を書いていました。

好きな山の近くで、自分の仕事をつくりたい。そう思って会社を辞め、長野県須坂市へ移住したはずでした。それなのに、休日や睡眠時間を削り、やりたいことに手が回らない。何のために働き方を変えたのか、分からなくなる時がありました。

それでも私は、2025年9月30日に3年間の任期を終えたあと、峰の原高原で暮らし、働き続ける道を選びました。

なぜ協力隊になり、何に悩み、それでもここに残ろうと思ったのか。Minenohara Craftsにつながる3年間を、当時のブログの言葉とともに振り返ります。

出典:「色々と背負いすぎた協力隊員のお話」(2024年11月11日)

会社員から地域おこし協力隊へ。自分の技量で生きてみたかった

前職は、大きな会社でした。入社が決まった時は両親も喜んでくれたし、私自身も誇らしかった。給与にも恵まれていました。

それでも、働くうちに違和感が積もっていきました。仕事を効率よく終えても、次の仕事を任されるばかり。楽しかった飲み会でも、気づけば愚痴が増えている。そんな自分が、嫌になっていました。

コロナ禍と部署異動を経て、考えるようになったのは、会社の外で自分に何ができるのかということです。

自分の技量で生きていきたいと思いました。

2022年末のブログに残した、当時の願いです。

もうひとつ、譲れないものがありました。山の近くで暮らすこと。登山のために兵庫県から長野県へ通ううちに、好きな景色のそばで日常を送りたいと思うようになっていたのです。

移住情報サイト「楽園信州」で見つけたのが、須坂市の地域おこし協力隊の募集でした。任期中に経験を重ね、起業し、卒業後の仕事につなげていく。その道筋に、心が動きました。

2022年7月、応募前に訪れた山の神キャンプ場の芋煮会。先輩隊員たちの話を聞くそばで、ヒグラシが鳴いていました。実は、話の細部より、その声の方をよく覚えています。

ここに住みたい。

そんな直感も背中を押し、2022年10月、須坂市で協力隊としての生活が始まりました。

引っ越し当日、空っぽになった明石のアパート。

出典・参考:「会社員から協力隊へ、2022年の想いをまとめてみた」、協力隊卒業時のブログ・前編

自由な活動の中で、少しずつ仕事の種が見つかった

私が所属した地域おこし協議会は、フリーミッション型でした。自分で活動を考え、途中で方向を変えることもできる。その自由は、須坂を選んだ大きな理由のひとつです。

ただ、自由だからこそ、自分で決めなければなりません。何に時間を使い、どんな仕事につなげるのか。2024年のブログには、自由な分、方向を見失いやすいことも書いています。

最初に思い描いていたのは、古民家と広い土地を使ったキャンプ場づくり。でも、土地の条件などが壁になり、思うようには進みませんでした。

その一方で、人との出会いは増えていきました。豊丘の農業小学校でのお手伝い。仲間と一緒に出店した芋煮。5週連続で週末に芋煮を作り、自分は何をしに来たんだろうと思ったこともあります(笑)。それでも、そこで交わした会話が、地域とのつながりになりました。

そして、峰の原高原への転居が決まった頃、夕食を作りながら見ていたテレビに、生ハムづくりの特集が流れました。標高1,500mの元ペンションで生ハムをつくる「ジャンボン・ド・ヒメキ」の藤原さん。料理の手を止めて、画面に見入っていました。

自分が暮らす高原でも、こんな仕事ができるかもしれない。勇気を出して連絡し、学ばせていただくようになったことが、As Neco Hamの原点です。

初めから事業の全体像が見えていたわけではありません。動いて、行き詰まって、人に会う。その繰り返しで、少しずつ道が見えてきました。

参考:「地域おこし協力隊って何なんだろう?と改めて考えてみる」、協力隊卒業時のブログ・前編

任期中の葛藤。やりたいことに、手が届かなくなった

出会いから始まった取り組みのひとつが、森を活かした体験や交流をつくる森林サービス産業でした。

地域団体を立ち上げ、交付金を活用して事業を進める。人と森林をつなぐ取り組みに、可能性を感じていました。けれど、実際に担う仕事の重さは、始める前には十分に分かっていませんでした。

申請、打ち合わせ、支払い、証拠書類の整理、報告書。事務を一人で抱え、次の企画を考える時間さえ取りづらくなっていきました。自分の事務作業に見込んでいた費用も出ないことが分かり、休日や睡眠を削って対応するようになりました。

外からは順調に進んでいるように見えても、自分の中では余裕がなくなっていく。相談できる相手を探そうにも、そのための時間も気力も残っていない。2024年のブログには、そんな苦しさがそのまま残っています。

予め「これがしたいからこの交付金(補助金)を活用したい」と物事を順序立てることが重要だと思います。

2024年7月、私はこう書きました。「やれば分かる」と勢いで手を挙げた自分への反省でもありました。

私が悩んだのは、進めている事業と、自分が本当にやりたいこととの距離でした。計画や関わる人が増えるほど、簡単には方向を変えられない。責任を果たそうとするほど、自分の仕事の準備が後回しになる。その間で、気持ちが揺れていました。

出典・参考:「交付金事業で思うことと、心のモヤモヤを語る」(2024年7月8日)、「色々と背負いすぎた協力隊員のお話」

卒業後の暮らしを考えると、お金の不安も大きくなった

もうひとつ、重くのしかかったのが拠点の修繕でした。

元ペンションは大きく、手を入れたい場所はいくつもあります。事業に使える状態にするには、協力隊の活動費だけでは足りません。事業計画をつくり、金融機関に融資を相談する必要がありました。

その頃には、引っ越しや軽トラ、除雪機の購入、修繕などで、貯蓄も減っていました。会社員時代とは収入も違う。卒業後は、協力隊としての給与もなくなります。

ここで暮らしたい。その気持ちは決まっていても、暮らしを続けられる事業にできるかは、別の問題でした。

不安を抱えた2024年11月のブログには、それでもひとつ、決めたことが書いてあります。

補助金が終わったら自分のやりたいことを自分の力で、小さくても良いからやっていこうと決めました。

小さくても、自分で考え、続けられる仕事をつくる。大きく背負った経験の中で、私はその大切さを感じるようになりました。

木の壁や脚立、工具が見える、峰の原高原の生ハム工房の改修途中の室内
改修途中の生ハム工房。卒業後もここで働くために、拠点の整備を進めていました。

出典・参考:「色々と背負いすぎた協力隊員のお話」

しんどい時期にも、人とのつながりは残っていた

ここまで読むと、苦労ばかりの3年間に見えるかもしれません。でも、高原での暮らしを好きになった気持ちも、人に助けられた記憶も、同じくらい確かです。

2023年春、峰の原高原へ移ってからは、ご近所への挨拶や地域の一斉清掃を通じて、少しずつ顔見知りが増えました。食事会に声をかけてもらうことや、道で交わす世間話がうれしかった。ここでずっと暮らしたいと思うようになったのは、そんな日々の中でした。

移住を支えてくれた市の担当者の方々が異動する時には、仲間と記念写真を撮りました。2023年4月のブログには、つらいことがあったらこの写真を見て元気を出そう、と書いています。応援してくれた方々に、3年後の自分の姿で応えたい。その思いもありました。

2023年春、須坂市地域おこし協力隊メンバーと

ブログやSNSを続けたのも、活動報告のためだけではありません。高原で一人で作業する日が増えるほど、何をしているのかを知ってほしかった。同じ思いで活動できる仲間と、つながりたかったのです。

今読み返すと、楽しそうな記事にも、弱音を吐いた記事にも、その時の自分がいます。うまくいかない日にも書いておいたから、卒業までの道のりを、きれいな思い出だけにせず振り返ることができます。

参考:「着任6ヶ月経過〜桜咲く須坂、心機一転の春〜」、「なぜ協力隊員はブログやSNSをやるのか、その理由と自分なりの想いを語ります!」、協力隊卒業時のブログ・前編

協力隊を卒業しても、物語は続いていく

2025年9月30日、3年間の任期が終わりました。

最後の振り返りブログは、予定していた日に書けませんでした。生ハムの生産で忙しく、連続投稿が最後の最後で途切れてしまったのです。最後まで、思いどおりにはいきませんでした(笑)。

それでも、その忙しさは、移住した頃にはまだなかった仕事から生まれたものでした。

卒業後のブログには、こう書いています。

地域おこし協力隊を卒業したら終了…ではなく、むしろ始まりなのです。

2025年10月1日からは、自分の事業で生活を支えていく。その覚悟を持って、次の日々が始まりました。

現在はMinenohara Craftsとして、生ハムブランドAs Neco Hamと、宿泊・交流の拠点Forest Baseの仕事を続けています。

協力隊になった時、私は自分の技量で生きてみたいと思っていました。3年間を通じて、その仕事は、人に教わり、手を貸してもらい、地域で暮らす中から育ってきました。

もし今、移住や働き方の変化を考えている方がいたら、私の記録が、華やかな話の向こうにある日々を知るきっかけになればうれしいです。好きな場所で暮らす喜びも、自分の仕事をつくる難しさも、どちらもありました。

受け取ったご縁に応えながら、小さくても、続けられる仕事をつくっていく。

それが、迷いながら3年間を歩いた私の、卒業後の決意です。

出典:「地域おこし協力隊卒業!3年間で生まれた出会いと沢山のありがとう(後編)」(2025年10月13日)


峰の原高原との出会いや、定住を決めるまでの出来事は、「この景色の中で、生きていく。峰の原高原に出会い、定住を決めるまで」にもまとめています。

野澤 健太

元須坂市地域おこし協力隊。長野県須坂市・峰の原高原で、宿泊&交流拠点「Forest Base」の運営と国産生ハム「As Neco Ham」を製造・販売しています。

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